スタッフブログ

量子論

「真空」と聞くと、一般的には〝無〟をイメージしがちですが、エネルギーと時間の不確定性関係式から分かるように、〝無〟はありえません。

”無”と”有”の状態の間でゆらいでいる、つまり、真空のもつエネルギーのゆらぎです。

2500年前に中道と表現された事とリンクします。

不可知論

今、私の目の前にパソコンのディスプレイがあります。

この物体は、私の主観によって構成され、私が創り出した表象にすぎない現象として、私の目の前に現れています。

私が認識しているこの物体は、私の認識に関係なく実在しますが、私の目の前に現れる際は、認識以前の姿で現れることはありません。

この世に絶対の真理があったとしても、我々は真理を知り得ないのです。

 

今年最後の更新

来年もよろしくお願い申し上げます。

食事について

日本に暮らしていると忘れがちですが、食事という行為は自らの命の為に他の命を奪う行為です。

屠殺や解体が日常の光景であり、その延長線上に食卓に並ぶ食事がある環境に暮らしたことがある私としては、そのような状況を目の当たりにする機会がない環境で暮らしている我が子は、食事という行為から、家畜という存在について、狩猟という行為について深く考えることなく育ってい行くのではないかと思ったりします。

日本で暮らしていると、とても大切なことが、なんとなく欠落してしまうような気がします。

 

 

倒産分岐点

企業の倒産分岐点は規律の乱れと言われます。

組織の規律が乱れると、生産性が悪化し、生産性が悪化すると、安全性が悪化し、そして倒産の道をたどって行きます。

企業の規律の乱れに責任を負うべきは、経営者です。

経営者自らが倫理、道徳、戒、律、を全体に浸透させ順守させる行動を行うべきです。

理想は、律が無く戒によって自制可能な組織です。

 

 

 

 

無知を知ること

物理や化学が示す証拠など全体のうちのほんの僅かに過ぎず、そのような無限小の事柄からすべてを判断し、世界を規定してしまっている我々は、傲慢で偏狭で偏屈な存在です。

全体を見たとき人間が知っている事は、ごく限られた事だけです。

我々は、様々な現状を既存の世界に当てはめることなく、受け止めることが必要です。

 

12月は個人の決算月です。

法人や個人事業主は従業員の税金の計算をしなければならない時期です。

多くの法人や個人事業主の方は従業員の所得税の計算を自社で行っていません。

年末調整に限らず、法人、個人の所得税申告をはじめとする税務会計業務は本来、その法人、個人が自身で行うことなのですが、様々な事情から多くの法人、個人の方はそれらの業務をアウトソーシングしています。

おかげさまで我々は給与を頂けるわけです。

しかし、これらの業務を、会計事務所や税理士事務所にアウトソーシングするよりも安いコストで自社内で正確に処理できるのであればそれに越したことはありません。

そのような組織づくり、仕組みづくりのお手伝いをすることが我々の仕事であります。

事業も人生も計画的に

今年は残りあと1か月です。

今年のうちにやっておくべきことを今年のうちに終わらせるためには、計画を立て実行する必要があります。

年賀状を1月1日に相手に届けてもらうためには最終期限が決まっており、その日までに制作し、投函しなければなりません。

そのために年賀状作成計画を立てます。そうして完成した年賀状は1月1日に相手の手元に届きます。

では、あなたの人生はどのくらい時間があるのでしょうか。そして、人生でやっておくべきことは何でしょう。

20歳の人は後60年くらいかなあ。とか、50歳の人は後30年くらいかなあ。とか、なんとなく世間で言われている平均寿命や肉親の死亡年齢などを基準にして予想することはできますが、「わたしの寿命は後~時間だ」と明確に知っている人はいないと思います。

1年365日のように誰にでも共通で、明確になっているのであれば計画も立てやすいのですが、余命に関して明確にわからない以上、余命ではない別の時間軸を設定し、人生でやっておくべきことの計画を立てなければいけません。

多くの人は無計画に人生を送っています。

無計画で行き当たりばったりの人生でも、刹那に全身全霊を傾けることが出来れば、刺激的で躍動感に満ち溢れ、充実した人生となると思います。

しかし、どんな人でも時には休息が必要です。

刹那に全身全霊を傾けるとは瞬時の休息もないということです。休息をとるならばそのための計画が必要です。

人生計画立案は弊社監査人にご相談ください。

今年も後・・・・

今年もあと一ヶ月ちょっとで終わります。

つまり、あと一ヶ月ちょっとで来年になるわけです。

「そんな事はごく当たり前のことだ」と、とらえる人は完全に正常な日本人でしょう。

正常な日本人は、11月が終わり12月になると「1年なんてあっという間だ」とか「今年もあと1ヶ月で終わりだ」などと言っては、年末と新年を迎える準備に取り掛かったり、取り掛からなければいけないと思ったり、一年が終わることを意識し物思いにふけったり、一年を総括してみたり、反省したり、新しい年の決意をしたり、決意をしようと考えてみたり、とにかく一年がもうすぐ終わり新しい年が始まることを認識し、そのことを前提に思考したり行動したりします。

一方で異常な日本人もいます。異常な日本人がいるからこそ正常な日本人は存在し得ます。

ここでいう異常な日本人とは「そんな事はごく当たり前のことだ」と、とらえない人のことです。

1年が365日というルールは知識として知っていても、そのルールを受け入れていない人がいるのです。

しかし、その1年365日ルールを受け入れ周囲と同じように振る舞うことが社会で生きていくためには必須のスキルであるとの認識しているため、そのように振る舞っています。

正常な日本人の前では通じない独自のルールに従い考え行動する人は、その行動原理を知られることは批判や攻撃の的になりますから、その行動原理を知られてはいけません。

このことは精神的なストレスにつながります。

いっそ踏み絵を踏んでしまえば楽になるかもしれませんが、そうしない理由があるのでしょう。

特別子供が好きなわけではありませんが、

言わずと知れたことですが、赤ん坊や小さな子供たちは、将来私たちが受け取る年金や医療費の負担者であり、将来の経済システムの運営やインフラ維持整備、政治など、私たちが年老いたとき支えてくれる存在です。

そんな子供たちをぞんざいに扱うこと、心を込めて見守らない、過ぎることなく手を差し伸べない、子供たちの為に使われる税金をごまかすことなどは、自分の首を自分で絞めるようなものです。

都会で電車に乗るとよく見かける光景があります。

満員電車で子供が泣いているだけで嫌な顔をする人、ベビーカーをおして乗ってきたお母さんに対し露骨に迷惑そうな表情を向ける人など。

本当によく見かけます。

自分もかつては赤ん坊であったことは棚に上げ、今の自分のことしか考えられず、刹那の気分とテンションだけで生きていて、料簡が狭く、教養も品性のかけらもない、「自分の周囲で小さい子供が騒ぐのは不愉快だ属」は考えてみてほしいものです。